NEC PC-9801NS/E


これですら、もう4台目のPCでした。
うーん、もともとゲーマー?が高じてPCが欲しくなった人なんですが、PC98ではNoteを選んだことからもわかるかもしれませんが、ちょっと違います。簡単に言えば、文章を作成するツールが欲しかったんですよね。
データページに置いてある小説モドキなんかもそうですが、当時は、DTPな環境が結構必要だったんです。
ま、実験レポートなんかも、一太郎で書けるしね〜。

当時は、Windowsなんてもちろんありませんから、DOS版のワープロソフトといえば、一太郎Ver4といった感じで、スタンダードはジャストシステムでした。
ただ、これだと、DTPの機能としては貧弱で、他にJGというものすごいツールを使っていました。
こいつは良かった〜。いわゆるアウトラインプロセッサってやつで、誌面をかっこよく魅せるってことには欠かせないものだったんです。
あのマシンSpecで、今つくられている広告ページと遜色無いデータを作成できたと思います。いろいろテクニック開発したりして、仲間内で楽しんでいました。
そもそも、CD-ROMでデータを配るなんて概念が浸透してない時代に、フォントデータを合わせると、FD20枚とか60枚とかなんだから、本当に驚異です。(^^;
HDDももちろん高価な時代だから、40MB使ってたわけだけど、これで足りないってんだから、時代を先取りしすぎとすら感じます。

まあ、例によって、クロックアップで高速化、なんてのが流行っていた時代だったので、自分も例に漏れず、16MHzを20Mhzに改造したりしていました。体感速度は確かにあったので、それなりに有意義な改造でしたね。
だから、いまだにザウルスでクロックアップなんて聞くと、ぴくっ!ってしちゃうのかもしれません。

当時は、フリーウェアの入手って、圧倒的にNiftyだったんですけど、ちょっとしたファイルにもダウンロード時間がかなりかかります、。2400bpsなんだから、そりゃそうだわ。
大学の電算室?のPCのHDDの中身をサルベージしたりなんかしたこともありました。 (笑)

気が付くと、DOS環境構築に凝ってて、自分が使うツールを常駐させつつも、メモリ600KB以上空けるとかにも燃えていましたねえ。今考えると馬鹿ですね〜(笑)

MIDIなんかを知ったのもこの頃ですか。それまではFM音源世界一ぃ〜とか思っていたわけだから、こりゃ革命的です。思わずキーボードとか買っちゃって、小室哲哉目指しましたよ、ええ。(笑)
だって、TMNのアルバムに、PC88とよく知られているシーケンサーの名前で、この曲作ったって書いてあれば、じゃあ自分でも作れるかも、とか思っちゃうじゃないですか。(笑)

そんなわけで、僕の中では、一番使われたPCだったりします。これ以前のは、ホント、たんなるゲームマシンに成り下がっていたとしか言えないですからねえ。
今でも、HDD換装して、240MBの大容量にして、液晶は知り合いにあげちゃったけど、PC88のカラーディスプレイがつながって、現役で動作します。テキストエディター代わりにしか使わないけどね。


2000.12.19
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